児島善三郎(1893~1962)は、現在の福岡市博多区中洲に生まれました。生家は紙問屋を営んでおり、歴史ある、大変裕福な家でした。福岡県立中学修猷館(現県立修猷館高等学校)のときに母に買ってもらった道具で油絵を始め、二級下の中村研一らと「パレット会」なる絵画クラブを作り、油絵を描いたり、洋雑誌を購入して西洋絵画を勉強することに夢中になります。画家になりたいという希望を認めてもらえず、修猷館卒業後は長崎医科専門学校の薬学科に入りますが、画家になる夢は捨てられず、家出をして東京美術学校を受験するため上京します。美術学校の受験には失敗しますが、東京に居を定め、三十代に入ってからパリ留学を果たします。三年間の留学中、師にはつきませんでしたが、美術館に通い、その研究成果をアトリエでの作品に生かすべく奮闘を重ねます。パリだけでなく、フィレンツェ、ローマなどのイタリアの都市、またマドリッドやトレドなどのスペインの町を訪れ、西洋美術の吸収に努めました。帰国後は中村研一、野口弥太郎らと交友しながら、二科会や一九三〇協会などに参加。その後、1930年に里見勝蔵、清水登之らと独立美術協会を立ち上げ、日本独自の油彩画を確立することに情熱を燃やします。アトリエを構えた代々木や国分寺を描いた自然を高らかに歌い上げた風景や、北九州市立美術館が所蔵する《スペイン装の高田せい子像》に代表される骨太な人物画によって、児島善三郎は近代日本洋画において欠かすべからざる画家となりました。今回の展覧会は、児島善三郎の遺族の全面的な協力を得て、東京の府中市美術館と共に開催するものです。画面いっぱいに豊かな色彩の広がる情熱的な児島善三郎の世界をお楽しみいただきます。