清水卯一(1926-2004)は、「鉄釉陶器」の優れた技術により、1985年に重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されています。
京都五条坂にある陶磁器の卸問屋に生まれた清水は、作陶の道に進むことを決めると洛北八瀬の陶芸家石黒宗麿に入門しました。戦時体制が強まる状況下、石黒のもとに通った期間はわずか数ヶ月でしたが、その間に学んだ陶芸家としての姿勢は以後の彼の作陶に大きな影響を与えました。清水は1941年には京都国立陶磁器試験場の伝習生となり、釉薬や図案の指導を受けて基礎的な釉薬の研究に取り組み、その後京都市立工業試験場窯業部助手として就職します。終戦を迎えると、清水は試験場を辞職し、それまでの京都のやきものにない、新しい作品を作ることを目指して、自宅の工房で作陶を始めます。1955頃には柿釉、油滴に優れた個性的な作風を確立し、鉄釉の焼成は還元炎焼成が一般的であった当時に、酸化炎での焼成に成功します。
1970年、大気汚染防止法によって京都の市街地で登り窯が使えなくなると、それを機に清水は滋賀県志賀町へ移り、若い頃から念願であった登り窯・蓬莱窯を築き、以降堰をきったように新しい釉薬に挑戦していきます。若い頃に石黒宗麿から学んだ、自分で材料を作ることへの憧れは彼の作陶のこだわりとなり、比良山系の山中を探して素地と釉薬のための陶土や磁土、石を求め、その発色を追及しました。そして氷裂貫入の青磁、青白磁に近い釉薬の蓬莱磁、黄蓬莱など、釉薬や素地土の内部にあるものを導き出すように美しい色釉薬を作り出します。
本展では、長男で陶芸家の保孝氏よりご寄贈いただいた当館収蔵品10点を紹介いたします。いずれも蓬莱窯に移ってからの作であり、意欲的な探究心によって、土と釉薬の内部にあるものをいかに生かすかを追求しつづけた、清水卯一の陶芸の魅力を伝えています。
出品数:10点