高浜市やきものの里かわら美術館では、平成19年夏の企画展として、丸木位里(まるき いり)・俊(とし)夫妻の画業を紹介する展覧会を開催します。
1901(明治34)年に広島県飯室村(現・広島市)に生れた位里は、田中頼璋(たなか らいしょう)、川端龍子(かわばた りゅうし)らに日本画を学んだ後、水墨画に抽象的表現とシュールレアリスムを取り入れた独自の画風を打ち立てました。一方、1912(明治45)年に北海道秩父別町に生まれた俊は、女子美術専門学校で洋画を学んだ後、二科展に出品・入選し、卓抜なデッサン力を持つ新進洋画家として注目されました。1939(昭和14)年に出会った2人は2年後に結婚し、東京椎名町のアトリエ村さくらヶ丘パルテノンで生活を始めました。
1945(昭和20)年8月6日、位里の故郷・広島に原子爆弾が投下されました。原爆投下直後に広島入りし、地獄絵図と化した町を目の当たりにした夫妻は、やがてこの惨状を作品に描くことを思い立ちます。こうして“水墨画の名手”である日本画家・位里と“デッサンの名手”である洋画家・俊が共同制作し、30年以上の歳月をかけて完成させたのが、連作《原爆の図》です。
連作《原爆の図》は、1950(昭和25)年に第1作目の《幽霊》が発表されて以来大きな反響を呼び、原爆を告発し平和を訴えた作品として世界的に有名となり、現在でも夫妻の代表作とされています。確かに《原爆の図》は夫妻の画業において重要な作品ではありますが、しかしそれが夫妻の画業全てではありません。看過されがちではありますが、夫妻は《原爆の図》制作と並行してそれぞれ創作活動を続け、独自の日本画世界、油彩画世界を描き出していったのです。
本展では、丸木位里・俊夫妻が埼玉県東松山市に建てた原爆の図丸木美術館の協力を得、丸木夫妻の画業を、《原爆の図》に代表される<共同制作>と、<個人制作>という2つの側面からご紹介するものであり、《原爆の図》(全15点)のうち3点と2人の個人制作作品約40点を含む計60点を公開します。