大阪府岸和田市出身の加守田章二(1933-83年)は、20世紀後半の日本陶芸界に異色の才能を燦然と輝かせた陶芸家です。高校時代から美術の才能を発揮し、進学した京都市立美術大学(現・京都市立芸術大学)で富本憲吉のもとで陶芸を学びます。卒業後、茨城県日立市での製陶所勤務を経て1958年に栃木県益子町に移り、翌年独立して本格的な作陶生活を始めました。1961年に妻昌子と共に日本伝統工芸展に初入選してからは、同展への入選を重ねるとともに数々の展覧会にも招待出品し、次第に陶芸家としての地位を確立します。1967年、陶芸界では初の高村光太郎賞を受賞したことで一躍注目を集めた加守田は、同年、伝統的な作風からの脱却を考えて日本伝統工芸展への出品をやめ、また、作陶に専念できる地を求めて岩手県遠野市を訪れます。そして、初めて手にした遠野の土こそが自身の打ち込める土であることを直感的に見出し、二年後にはこの地に陶房を築いて、あたかも修行僧のように制作に励みながら「曲線彫文」や「彩陶」などを始めとする代表作を次々と発表していきました。常に独創的な形とデザインを追求し続けた彼の作品は、従来の陶芸の概念を超え、多くの人々を惹きつけるとともに高い評価を受けました。しかし、1983年、突然の病によって加守田は帰らぬ人となります。その早すぎる死は多くのファンに惜しまれました。
本展では、187点の主要作品に水彩による下絵やスケッチブックなど15点を加えて展示し、「自分の外に無限の宇宙を見る様に、自分の中にも無限の宇宙がある」と述べ、自らの理想に向かってひたむきに作陶を続けた陶芸家・加守田章二の造形の軌跡をたどります。
出品点数:202点