「頭を留めるものは髪を留めず、髪を留めるものは頭を留めず」…辮髪(べんぱつ)にすれば清朝に保護され、髪を剃らなければ反逆罪で首をはねるという、明末清初(みんまつしんしょ)における混乱の様子を最も端的に言い表した言葉が、この薙発令(ちはつれい)です。明王朝から清王朝への移行は単なる政権交代ではなく、漢民族が異民族である満州族(女真族)に覇権を奪われた歴史上の大転換点でもあり、そこには清王朝への抵抗と恭順をめぐる数多くのドラマが生じました。日本人の母を持ち長崎で生まれたとされる鄭成功(ていせいこう)が、明朝再興を目指し、台湾を拠点に徹底的に清朝に抵抗したのは良く知られた話です。江戸時代に人気を博した近松門左衛門の浄瑠璃「国性爺合戦」(こくせんやがっせん)もまた、このエピソードが脚色されることで誕生しました。
国難に殉じた者、自ら死を選んだ者、明と清の両王朝に仕え地位を得た者、最後まで清朝に抵抗し、僧侶や道士、明の遺臣として生き長らえた者。当時の人々は究極の状況下で苦渋の選択を強いられましたが、他方、緊迫感をはらんだ当時特有の空気は書芸術の世界にも反映され、独特の雰囲気を帯びた作品群を生み出しました。董其昌(とうきしょう)や張瑞図(ちょうずいと)らによって洗練された連綿趣味は、王鐸(おうたく)などに代表される激動の明末清初に生きたさまざまな書人たちによって受け継がれ、それらは中国書法史上において今なお重要な位置を占めています。
台東区立書道博物館では、毎年この時期にリクエスト特集を行っています。今回の「みんなが見たい優品展 パート4-中村不折コレクションから-」では、書道界においても根強い人気を持つ、中国の明時代末期から清時代初期に活躍した書人たちの作品を特集する運びとなりました。さらに今回は、東京国立博物館東洋館第8室と展示時期及びテーマを合わせて作品を一挙公開いたします。上野の“山頂”にある東京国立博物館と、その“麓”にある書道博物館で繰りひろげられる、明末清初の書の世界を存分にお楽しみ下さい。