戦後、こどもの造形に深い関心を寄せ、積極的に関わった吉原治良(1905~1972年)の活動を中心に取り上げます。
1930年代半ばから抽象絵画をリードする作家の一人として二科会で活躍していた吉原は、戦時下の前衛美術に対する弾圧で、1940年頃から具象的な作品を手がけるようになりました。もっともそれは吉原にとって、美術とは何か、創造とは何かを改めて自らに問い直す機会にもなったようです。終戦後は、こどもや女性の顔、鳥、人など具象的なモティーフを集中的に描くと同時に、こどもの造形について活発に発言し、そこに作家として大いに学ぶべき要素を見出しました。吉原が代表を務めた芦屋市美術協会主催で、こどもの作品を対象にした全国的にも珍しい公募展(後の童美展)を、1948年の同協会創立時より毎年一回催すようになったのも、吉原の尽力によるものです。そして、当時の吉原とこどもの造形との関わりを考える上で特に重要なのは、こどもの詩とつづり方の投稿誌『きりん』の存在です。本誌に吉原は表紙絵や挿絵を提供し、文章を寄稿したほか、自身に師事する若い作家たちにもその仕事を紹介しました。やがてそれが具体美術協会(具体)の作家たちと『きりん』との密接な関係を生み出したのです。
本展では、こどもの美術教育に関する吉原旧蔵の資料を、当館所蔵の1940年代半ばから1950年代半ばの吉原の油彩画や、吉原の手元に残されていた関連の素描と共に展観することで、後に具体へと結実してゆく吉原の美意識の原点を探ります。