白州正子の随筆も、小林秀雄の評論も、この男から始まった-「希代の目利き」と言われた青山二郎(1901-1979)の展覧会を開催します。
白州、小林のほか、河上徹太郎、永井龍男、中原中也ら昭和を代表する文化人が集い、大岡昇平が名付けた文学サロン「青山学院」。青山二郎はその中心人物でした。東京・麻布の大地主の家に生まれ、裕福な家庭に育った青山は、幼い頃から古美術に関心を持ち、特に中国、朝鮮、日本のやきものを知り尽くしたその鑑識眼は、常に一目を置かれていました。白州、小林の骨董の師であり、柳宗悦とともに初期の民藝運動を支えたことでも有名です。
その一方、千利休、富岡鉄斎、梅原龍三郎らについての評論を著し、また装幀した書籍は2000冊にものぼりますが、「何者でもない人生」(白州正子)、「やろうと思えば何でもやれた天才なのにわざとなにもしなかった男」(加藤唐九郎)と言われたように、生涯通して定職には就かず、「高等遊民」としての独自の人生を貫きました。
本展覧会は、今や「伝説の人物」として語り継がれている青山二郎の世界に改めて迫ろうとするものです。青山自身、あるいは白州、小林らゆかりの人々が所蔵した中国、挑戦、日本の古陶磁器や工芸品を中心に、富岡鉄斎、北大路魯人といった青山が評価した芸術家たちの作品、そして唯一の「仕事」とした数々の装幀作品など、約200点を紹介し、美の研究者・青山二郎の魂の眼を通して見た昭和の芸術・文化の世界を探ります。