萩焼は、藩主毛利氏が慶長9年(1604)萩に入府したのち、御用窯として創窯されたのが始まりです。当時の茶の湯の世界では、朝鮮の日常使いの器が茶碗に見立てられ、重用されていました。高麗茶碗と総称される、侘びた風情の感じられる茶碗です。その茶碗を容易に手にいれることを想定して、文禄(ブンロク)・慶長の役(1592.1597~98年)の朝鮮出兵を契機に多くの陶工が日本へと招致されました。萩焼の開窯も朝鮮の陶工、李勺光・李敬兄弟の貢献によるといわれ、主に茶碗の焼成に意が注がれたのです。その成り立ちより、当初は高麗茶碗を範としますが、次第に茶の湯の美意識を反映し和物茶碗として独自の造形を創造してきました。特に創窯期、古田織部の好みに触発された造形は萩焼に多様な表現をもたらしました。
今展観ではその茶碗の造形の変遷を中心に、水指や花入、置物など多彩な器形の作品にも着目し、萩焼の確かな造形力と技倆をご覧いただきます。そこには、陶工による伝統技術の研鑚や継承とともに、創造性を追求する制作姿勢が窺がわれます。明治時代、廃藩置県による御用窯制度の崩壊という苦境下においてもその姿勢は貫かれ、作家としての個性が徐々に確立され、第二次大戦後、三輪休和や吉賀大眉がその先駆的活動によって萩焼に新たな時代を導き出しました。創作の分野も茶陶にとどまらず、多彩なひろがりをもつに至りました。その後に続く作家も、様々な創作活動に呼応して新しい造形を創り出し、萩焼の表現はますます豊かなものとなっています。この萩焼400年の展開を、古萩の茶陶から現代の造形作品まで113点の出品作品によって概観いたします。萩焼の将来を展望していただく機会となれば幸いです。