徳川家康は、将軍家に後継ぎがいないときの備えとして、九男義直(尾張家)、十男頼家(紀伊家)、十一男頼房(水戸家)を将軍家を継承する役割を持つ三つの家としておきました。
これら御三家は、はじめ江戸城内に屋敷を持っていましたが、明暦の大火(1657年)を契機として、江戸城外に屋敷を持つようになりました。
尾張徳川家の屋敷は、麹町、市谷、戸山などに、特に市谷(現在の防衛庁)と戸山(現在の早稲田大学周辺)の屋敷は広大な面積を持っていました。
また、紀伊徳川家は赤坂御門外(現在の赤坂御用地・迎賓館一帯)に、水戸徳川家は小石川御門外(現在の後楽園・東京ドーム一帯)にと、それぞれ屋敷がありました。
さてこのたび、新宿歴史博物館、千代田区四番町歴史民族資料館、文京ふるさと歴史館の三館共同企画として、徳川御三家江戸屋敷発掘物語展が実現しました。この展示では、徳川御三家のうち新宿が尾張徳川家を、千代田が紀州徳川家を、文京が水戸徳川家を担当し、その江戸屋敷について展示いたします。
当館では、尾張家の江戸屋敷として、市谷邸・麹町邸・戸山荘の三つの屋敷をとりあげます。
資料の種類は大きく三種類。絵画資料、伝世品、考古資料の三つの主な展示品によって、尾張家の江戸屋敷について紹介していきます。
界号室資料では、豊島区目白にある財団法人徳川黎明会徳川林政史研究所、名古屋市蓬左文庫に所蔵されている豊富な絵図資料をご紹介します。また、館蔵の絵巻も必見です。
考古資料では、尾張藩上屋敷跡の発掘を行った東京都埋蔵文化財センターと共催し、市谷邸の地下から掘り出された上屋敷御殿や長屋などの建物跡、尾張藩士のつかっていたであろうさまざまな生活用具を並べます。また、絵巻にも描かれた戸山荘の龍門滝は、早稲田大学と新宿区教育委員会による発掘調査でその構造に調査のメスが入れられており、こちらも写真や映像などで取り上げる予定です。
なお、名古屋市の個人コレクションからご紹介する伝世品のお庭焼きと、発掘されたお庭焼きは、数百年の時を経て当館で相見えるものです。