1910年からパリで活躍していたシャガールは、故郷ロシア、ヴィテブスクに里帰りしていた1914年、折から勃発した第一次世界大戦のため出国できなくなりました。そしてロシアには革命の嵐が吹き荒れます。シャガールも社会主義政権に巻き込まれ、ヴィテブスクの人民執行委員や新しく設立されたアカデミーの校長などに任命されますが、信仰を否定されたことや同僚たちの相次ぐ背任などで、だんだんと革命に幻滅していきます。
1922年、最終的にロシア革命を見限ったシャガールは国外脱出を図り、再びパリへ向かいます。旺盛な制作活動を再開したシャガールに、美術界の大立者であった画商ヴォラールは「旧約聖書」に材を取った銅版画による版画集の制作を依頼します。シャガールは民族のアイデンティティを強く意識し、エジプト、パレスチナ、シリアへの取材旅行を敢行、またレンブラントの銅版画の技巧を研究するためオランダにも出かけました。
《聖書》はヴォラールが急死した1939年の段階で66点制作されていましたが、第二次世界大戦の勃発や自身のアメリカへの亡命などで中断を余儀なくされ、再び着手されたのは1952年になってからでした。版画集は1956年に完成しますが、2年後、シャガールはモノクロームの銅版画に水彩で着色を試み、あらためて出版します。高知県立美術館の所蔵作品はこの手彩色によるものです。
今回は、全105点からなるこの版画集を中心に、同じく聖書を主題とした版画集《出エジプト記》や単品の版画を併せて展示します。構図がほとんど同じ図版が何点か認められますが、いかにシャガールがこの主題に魅せられ、繰り返し描いていたかが伺われます。
ユダヤ民族の聖典に真正面から取り組んだ、シャガール畢生(ひっせい)の大作をご堪能ください。