「風景画」はいつごろまで、絵画の主題としての意味を持ったのでしょうか。今でも風景画は描かれていますが、美術の表現が多様な選択肢を持つ現在、その意味は、明治30年代に「風景画」という言葉が生まれた時から、大きく変化しているのは確かです。
戦前に芽生え、無理に押さえ込まれていた抽象表現などの美術の多様性は、第二次世界大戦後一気に開放され、戦後の混乱期を経て1950年代にはいわゆる前衛美術の全盛を迎えます。吉原治良が「具体美術宣言」を美術誌上に発表したのは1956年のことです。
そんな中にあってこの同じ年、『美術手帖』に「写生地案内」という臨時増刊号が東日本編、西日本編、2号にわたって発行されました。そこには戦前戦後を通じて美術団体に所属し、一定の地位を得て「風景画」を描いてきた画家たちの対談と、写生地の紹介記事が掲載されています。この「写生地案内」の記事を辿り直し、併せてそこに登場する画家たちが、実際に描いた絵画を並べて展観することによって、この時期の「風景画」が絵画の主題としてどのような意味を持ち得たかを、検証する手がかりとなるのではないかと考えています。
この展覧会は、美術史の中で前衛美術の影に隠れ、これまで余り検討されることのなかった1950年代から1960年代の風景画について、関西の画家を取り上げ、新しい視点で捉え直してみる試みです。この考察を通じて、「近代」から現在に何が伝わり、何が取り残されたかを再発見できるかもしれません。
京都、奈良、大阪、神戸、紀伊半島、瀬戸内海などの関西一円の写生地を描いた、35作家90点の作品を展観いたします。
<主な出品作家>
黒田重太郎、小松益喜、須田国太郎、辻愛造、鍋井克之、古家新、榎倉省吾、金山平三、田川寛一、杉本健吉 他