「絵は人なり」-丘人が、自分の作品に表したのは、風景を目にした時の感動や、自らが感じた季節観、自らの人生観でした。作品には、権威を嫌い、何ものにも媚びない丘人の強い人間性が感じられ、われわれの心を打ちます。
丘人は1900年東京の生まれ。東京美術学校在学中、校内コンクールに出品した《娘之坐像》が松岡映丘に認められ、師事。1936年小金井に転居してからは武蔵野周辺の繊細な叙情的風景に画才を発揮します。
戦後、日本が一変すると、旧弊つづく日展を離脱、新しい日本画を求める革新画派のリーダーとして創造美術(現・創画会)を創立。雄大な山容や荒々しい日本海に取材し、造形的な量感表現をめざします。絵具を焼いたり、金、銀箔を多用し、さらに削り、重ねるといった技術も、作家の感動を的確に表現しています。
1960年には大磯に転居、強靭な意志の発露である力強い作品を発表しますが、次第に「真実の心象風景」を追い求める幽玄優美で詩情豊かな作風へと移行します。1977年、在野にあって文化勲章を受章。晩年はさらに象徴性を帯び、夢のなかで遊ぶような画境に到達しています。
本展は、東京圏での本格的回顧展としては12年ぶりであり、過去最大約90点余を出品。映丘に認められるきっかけとなった第一作《娘之坐像》(新発見)、長らく行方不明であった戦前の代表作《村道》をはじめ、初期から晩年に至る代表作・新発見作品などを一堂に展観し、山本丘人芸術の歩みを紹介します。