本展覧会は、異色の才能を輝かせた陶芸家、加守田章二(一九三三~一九八三)の業績を、初期から晩年までの作品約一八〇点をもって回顧するものです。
加守田章二が個展を開くと、方々の画廊が若い社員を走らせたといいます。彼らは列をなして階段を駆け上がり、我先に加守田の作品を買い付け、会場の作品は瞬く間に売約済みになっていく。当時を知る人が加守田の話をするときには、決まってこのような逸話が出されるほど、その作品は人気を博しました。しかし、加守田は周囲の賞賛に甘んずることなく、岩手県遠野に窯を構えて自己の新境地を追究し続けるのです。
一九三三年、加守田章二は大阪府岸和田市に生まれます。岸和田高校時代から美術の才能を発揮し、京都市立美術大学に進み、富本憲吉の指導を受けました。古代の須恵器を思わせる初期の作品は、高い評価を得て、一九六七年、高村光太郎賞の候補に挙がります。しかしすでに加守田の作風は変化の時を迎えていました。そして新たな作品、自ら「酸化文」と称する土器風の作品が受賞することとなったのです。それは目を見張るような変遷の序章と言えるでしょう。一九七〇年、個展会場には、衣文のような曲線を刻んだ様々な器形の作品が並び、翌年にはその曲線に色彩が入ります。色と線と器形が一体となって次々に立ち現れる斬新なデザイン、そして個展会場ごと一新するかのごとき鮮やかな変転の有様は、五十歳を目前に急逝するまで多くの人を魅了しました。
最後まで挑戦し続けた加守田章二、その世界を振り返ることで我々の可能性が見えてくるかもしれません。