やきものの酒の器は、時代や地域によって様々な形につくられます。「梅瓶」は中国や韓国、またわが国で、かつて酒の器としてつくられた瓶でした。その姿は口が小さく、銅はS字状のシルエットをえがきます。「梅瓶」という独特の呼び名は、こうした形が梅のやせほそった幹に似ていることにちなんだ、ともされています。
韓国では、高麗時代(918~1392年)を中心に梅瓶が数多く作られましたが、その姿や文様の美しさゆえに中国やわが国にも高級品としてもたらされました。最近、こうした高麗青磁の梅瓶がここ大阪とも深いつながりをもつことがわかってきました。
当館から天満(造幣局付近)にかけての地域は、かつて「渡辺津」と呼ばれ、平安時代から鎌倉時代にかけて瀬戸内最大級の港がおかれました。天満本願寺跡遺跡(大阪市北区天満1丁目)からは、13世紀頃の高麗青磁の梅瓶片が出土し、はるか昔の両国の交流を今に伝えるものとなっています。
本展では、天満本願寺跡遺跡出土の梅瓶片(財団法人大阪市文化財協会所蔵)をはじめとし、館蔵品を中心に約20点を展示し、中世の日韓両国の人々を魅了した高麗陶磁の梅瓶の魅力にせまります。