三溪園の創設者であり実業家であった原三溪(1868-1939)は、古美術の収集に力を入れるとともに、日本美術院の作家を中心に、物心両面にわたる援助を行い、芸術の発展に尽力しました。その三溪が画風や人柄を最も気に入り、厚い親交を結んだのが下村観山(1873~1930)その人です。観山は、岡倉天心の指導のもと、おもに日本美術院で活躍、近代日本美術の形成期を横山大観とともに担った大家として知られている作家です。三溪園近くの横浜・本牧和田山に招かれ居を定めて以来、晩年まで園をよく訪れては多くの作品を描き、三溪の所蔵となった大作も少なくありません。
中でも三溪園の臥竜梅に着想を得て描いたという《弱法師》(東京国立博物館所蔵・重要文化財)などはその代表的な作品です。また、園内にあった松風閣には障壁画《四季草花図》を描き、その部屋の名は三溪より「観山の間」と名づけられましたが、関東大震災による建物倒壊とともに惜しくも消失し、今は下絵を遺すのみとなっています。
今回の展覧会では、三溪がかつて所蔵していた観山作品を中心に、三溪と交流のあった明治から大正期の作品や資料を紹介します。