骨董という言葉に、どのような印象をお持ちになるでしょうか?なにやらカビの生えかかった、古めかしいイメージを思い浮かべる方が多いかもしれません。一方、骨董を生活空間に取り入れて、安らぎやぬくもりを演出したいと考える人も、徐々に増えつつあるようです。
我々が日常生活で見かける美しい器物は、人の技術を尽くして完璧な形や色を追求したものと、完璧にこだわらずに自然の風合いを残した「味もの」の二種に、大別できるように思われます。完璧を誇るもの美しさは分かりやすいものですが、形の歪みや色ムラやシミといった「味(景色)」に情趣を感じるのは、少し高級な趣味と言えるでしょうか。骨董は古物一般について使われる言葉ですが、この展覧会では、そのような味のものに限って、「骨董」と呼ぶことを提案したいのです。
我が国における器物鑑賞は、完璧なものを敬遠し、味ものを愛でるわびの美学を中心に据えてきた歴史があります。明治時代までは茶道具に限定されたものでしたが、その後欧米から器物アートとして鑑賞する流儀を学び、用のために生まれた雑器の美しさに気付いた柳宗悦によって新たな方向性を与えられて、味ものを愛でる美学は新たな段階を迎えます。古器物の持つ「味」を選び抜いて、その蒐集に自己を表現する「骨董」が確立したのです。大成者は希代の陶磁器鑑賞家として知られる青山二郎(1901~1979)。昭和十年代のことでした。
この展覧会では、青山や小林秀雄らによって確立し、戦後白洲正子や安東次男らに受け継がれた「骨董」の歴史を、ゆかりの品によってたどるとともに、現代の数寄者のコレクションもまじえて「骨董」の神髄を探ります。