水谷浩(1906-71)は、東京美術学校(現在の東京芸術大学)に在学中の1927年、松竹キネマ蒲田撮影所に入社して映画界への第一歩を踏み出しました。当時の所属は「大道具課装置係」、担当作品には牛原虚彦、豊田四郎、小津安二郎の他、清水宏や斎藤寅次郎の無声映画も含まれていたと言われています。その後、帝キネ、新興キネマへと活動の場を移しながら「祇園祭」をはじめとする溝口健二作品、「霧笛」など村田実作品での仕事が注目を集め、溝口とともに招かれた松竹下加茂では「残菊物語」「浪花女」「芸道一代男」(いわゆる「芸道三部作」)で明治ものの美術を極めます。また、1941年の「元禄忠臣蔵」では松の廊下を初めて原寸大で再現する一方、史実の中にも自在なデフォルメを加え、映画における「美術監督」の存在感を不動のものとしました。そして戦後の「西鶴一代女」「近松物語」などで、国際的にも高まりを見せる《溝口芸術》の評価に多大な貢献をなしたことは、あらためて繰り返すまでもありません。
本展は、水谷浩の生誕100周年を記念して開かれるものであり、同美術監督に関する展覧会としては国内初の本格的な催しとなります。ここでは、フィルムセンターに寄贈されたデザイン画や遺品などを通して、パイオニアの足跡と映画における美術の仕事を概観するとともに、晩年の水谷が情熱を注いだ影絵映画などの知られざる構想にも照明を当てます。