1955年の渡米を機に猪熊弦一郎(1902-1993)の作品は具象から抽象へと大きく変化を遂げました。猪熊の作品に抽象の兆しが表れたのは、50年初頭からです。この頃、来日中のイサム・ノグチとの出会いや数々の国際的な展覧会への作品など、猪熊にとって国際的な視野を広げる出来事が続きました。そのような中で、それまでの作品の大半を占めていた婦人像は影を潜め、代わりに猫や子どもが主題として登場するようになります。画面を彩っていた強烈な色彩は失せ、幾何学的な形態による構成が際立ってきます。しかし、猪熊にとって本格的な抽像絵画への挑戦が始まったのは1955年以降のことです。
渡米後間もなくは、当時ニューヨークの美術界を席巻していた抽象表現主義の影響を受けつけ、埴輪や歌舞伎といった日本の伝統文化を取込んだ作品が生み出されましたが、形のないものを描きたいと願う画家はやがて内面に目を向けた心情的な世界を紡ぐようになります。そして1964年には突如として短線の集積による作品が発表されます。都市の姿を描いたといわれる作品は、視覚的な変化だけでなく、その後続くことになる都市というテーマを得た点において、猪熊の抽象絵画のひとつの分岐点といえるでしょう。
展覧会では、渡米前から1964年までの作品を展示し、猪熊絵画における具象から抽象への変遷を辿ります。新しい絵画を作り出そうとする画家の果敢な挑戦の軌跡をご覧下さい。