財団法人永青文庫は、昭和25年、細川護立が、肥後54万石の大名細川家伝来の美術品約6千点と藩政資料の古文書7千点を収蔵、研究、公開するために東京・目白台に設立したものです。永青文庫の名称は、細川家の始祖で南北朝時代の武将・細川頼有の菩提寺、京都の永源寺の「永」と、初代・細川藤孝(幽斎)の居城・青龍寺城の「青」からとられたものです。
細川幽斎は戦国時代の末期、15代将軍・足利義昭の擁立のために尽力した武将で、後に織田信長の側近となり、本能寺の変に際しては、子・忠興(三斎)の義父・明智光秀の誘いを絶ち、豊臣秀吉より丹後11万石を拝領しました。文化に造詣が深く、とくに和歌は三条西実枝から古今集の奥義を伝授されたことで有名です。また、千利休とも深く交流しました。
細川三斎は、明智光秀の娘、玉を妻としていましたが、本能寺の変では玉を幽閉蟄居させ、秀吉側について参戦しました。玉は後にキリスト教の洗礼を受け、ガラシャとなりました。三斎は、秀吉の死後、徳川家康に与しますが、関ヶ原の戦いでは、ガラシャが自刃するなど大きな犠牲を払いました。文化的教養をもちあわせ、茶道では、千利休の高弟で利休七哲の一人とされています。
三代の細川忠利のとき、肥後熊本に移封され、九州の要として徳川幕府に仕えました。忠利は、宮本武蔵など兵法者を客分として遇しました。また、茶道にも熱心で、陶工を集め、八代焼などを起こしました。
このような細川家には代々に伝わる茶道美術品が約400点あるといわれていますが、今回はこの中より名宝 約70点と細川護熙の茶碗を合わせて公開いたします。